1954-09-16 第19回国会 衆議院 決算委員会 第49号
これは浦賀ドツクに注文をしてつくらせるところの南米航路の貨物船であります。したなれば、われわれ決算委員としては開発銀行の融資をするについて、船主を選定するについて、このような二百五十万円の贈賄がはたして行われたのかどうか。
これは浦賀ドツクに注文をしてつくらせるところの南米航路の貨物船であります。したなれば、われわれ決算委員としては開発銀行の融資をするについて、船主を選定するについて、このような二百五十万円の贈賄がはたして行われたのかどうか。
その他浦賀ドツク、日立造船神奈川、日立造船因島、日立造船向島等におきまして、三、四月分の賃金遅払が起つたのでありますが、これも四月末におきましては一応支払が完了するに至つておるのであります。 ところが関連下請事業場におきましては、この表にございますように、四月末現在我々の手許に報告の参りました分だけを見てみますると、百二十件で三千八百万円余の賃金不払がなされておるのであります。
だが、犬養君が中川における会合は、山下との一月十三日に限らず、八月、九月、十二月と、浦賀ドツクの多賀社長らと数回に及んでおりまして、この時期は、今回の海運造船疑獄発覚の端緒となりました森脇将光君の猪股功に対する告訴事件が進展をいたしまして、このために、十二月十七日には志賀米平が、十二月二十三日には猪股功が起訴せられ、すでに海運造船疑獄の全貌が明らかとなり、重役検挙の重大発展に入らんとする時期で、法務大臣
○中田吉雄君 三つのこの底知れぬ雄大な事件に取組んでおられる検察当局に対して敬意を表するものですが、併し先に言いましたような結果からいたしまして、又造船疑獄の中心であるところの、そしてこの留置が予定された飯野海運の俣野社長、更にこの中心である浦賀ドツクの多賀氏が不問に付されてしまつた。
これは相当重要なことを決定するようでありまするが、ところでその委員の顔ぶれを見ますると、関係行政機関の運輸次官、大蔵次官、通産次官、審議庁の次長などがありまするが、さらに日本郵船の社長、大阪商船の社長、三井船舶の社長、飯野海運の社長、山下汽船の社長、三井造船の社長、三菱造船の社長、浦賀ドツクの社長というように、つまり融資を受ける船会社の社長がみなそれぞれ名前を連ねてこの重要な審議に参画しておる。
例えば横浜の関東海運局の扱いました浦賀ドツクの分などは、検査院の六十号検査をおやりになつたのですが、検査院の言うのが正しいというので、直しておられるのであります。同じ六十号検査をやつて、同じ艦艇解撤でありながら、さつき申上げました一つの会社の分について百四十隻は直したが、六隻は直しておらん。
それから広島財務部のほうは先ほど申上げました占部造艦、大阪財務部の分は日立造船、関東海運局の分は浦賀ドツクと石川島重工業、横浜海上保安本部の分は浦賀ドツクであります。それから旧航空母艦隼鷹ほか四十二隻でありますが、これは実は直ぐ船の名前を全部申上げるということはちよつといたしかねますが、何でしたら後ほど……。
この解撤費は輸送艦十九号以下十三隻の解撤作業費でございまして、同年におきまする解撤作業費でございまして、同年におきまする解撤の契約は、浦賀ドツク外数社に指名競争をいたしましてやつております。当該二十三年度におきまして概算を払いましたのは、うち千七百四十三万七千八百六十二円でございます。
(拍手)現に鉄製品について一例をあげますれば、造船は三菱、川崎、三井、浦賀ドツクに集中せられておりますが、それらは外國の一万五千トン級以上の造船に集中せられているのでありまして、日本船はほとんどこしらえておらぬ状態である。
千葉合同無盡株式会社に対し、昭和二十一年三月より昭和二十三年三月末日までにおける金額五十万円以上の貸出し、手形割引、支拂い、その他一切の取引に関する報告書の提出を求め、また浦賀ドツク、飯野産業、三菱重工業、播磨造船所、佐世保船舶株式会社、その他二、三箇所に対し、一、艦艇解体に関して、解撤したる艦艇の種別、隻数、トン数、二、解撤許可申請書及び艦艇拂下申請書、三、解撤終了の年月日、四、解撤作業費その他解撤